2014年9月25日木曜日

エボラ出血熱 第6信 Sr.ジョセフィン カマラより

親愛なる菅野さま、そして支援者の皆さま
私は、シエラレオネ出身で、宣教クララ修道会シエラレオネ地区の修練長をしておりますシスター・ジョセフィン カマラです。 菅野さま、この通信手段を使い、あなたが送ってくださいました御支援に対し感謝をお送りするとともに、この国の保健衛生(エボラ)状態についてお話ししたいと思います。本当のことをお話すれば、これは困難な事でしたが、神様のお恵みにより、私たちとほとんどの国民は、少しずつではありますが、この困難な状態を乗り越えつつあります。
「カイラフォン地区」からのニュースは御存じでしょう。この地区は、カイラフォン市が地区の首都であり、この地区からシエラレオネのエボラOUTBREAKが始まった所です。この場所は、ギニアとリベリアに一番近い場所ですし、さらに、この2か国とは、往来自由の国境です。興味深いことにこの3か国の国境の周りに住むのは、同じ部族(Kissi族)なのです。ですから感染するのは非常に容易なことですし、ビールスの感染をコントロールするのは難しいことです。なぜならば、同じ家族が、ギニアのGuekedou/Masanta地区、リベリアのFoya/Lofa、そしてシエラレオネ・KailahunKissi Bendu地区に住んでいるのですから。今年の3月から保健省はギニアでの、数週間後には、Kairahun(カイラフォン)地区でのエボラ発症を発表したのです。御存じの様に、このKailahun地区には、私たちの修練院があります。この地区に住む人々全員にとって、この事実は生易しいことではありませんでしたし、お互いに注意しながら過ごしました。スローガンは、「接触しない、触れない。」 このスローガンのお蔭で、今日までKailahun地区では平穏に過ごすことができ、神様に感謝しています。教会でも、モスクでも握手やお互いに触れ合って挨拶をすることは、禁止されています。しかし、悲しいことに、どうして接触してはいけなのか、それがなぜ病気の家族の助けになるのかが、皆が皆、十分に理解していませんので、ビールスは多くの人の命を奪いましたし、いまだに感染を続けているのです。
状態をコントロールするために、2014年の612日に、政府は、Kailahun地区の学校と教育施設の閉鎖措置をとり、Kailahun地区の閉鎖(外出禁止令)しましたが、ビールスはすでに隣のKenema地区まで拡がり、(その後)国中に拡がっていったのです。87日には、緊急事態宣言が出され、KailahunKenema地区は、閉鎖されました。今現在、この2地区は落ち着いてきていますが、国の他の地区では、まだ問題が続いています。
ちょうど今日、日本の皆さまからKailahun地区の子供たちのために送ってくださいましたお米を配りに行きましたので、その様子をお話したいと思います。頂きました半分は、感染した家族の治療に当たっているドクターマンジョ ラミンにお願いして配っていただきましたが、残りの半分は、私たちと、ここの教会の神父様と一緒に、一番感染の被害が大きかったKiondu村の教会とモスクへ配りに行ってきました。本当に貴重な体験でありましたが、食糧不足は深刻です。国からも、諸外国からも食糧の援助がありますが、大半の人々の所には到達していません。今日、Koindu –Kissi Kamaに着いた時、村にはほんの少しの人々しかおりませんでした。なぜならば、村の人々は、森に、ここの人々が食料とする植物の根のイモ類を探しに出かけていたからです。このイモ類は、主に朝食としていただきます。この様な状態ですので、予期していなかったお米を受け取って、教会とモスクの代表者は、とても感謝していました。村の深刻な様子がわかりましたので、これからも様子を見ながらこの奉仕を続ける予定ですのでどうぞご支援をよろしくお願い致します。
もう一つ分かち合いたいのはKailahunへの帰り道の途中にある「エボラキャンプ」訪問の様子です。
このキャンプは、3か月前から国境なき医師団によって運営されおり、Kailahunの郊外にありますので、道から見ることができないか、一緒に行かれた神父様にたずねました。神父様の答えは「それはできない、細い道を通らなければならないから。 しかし、車でキャンプを通り、シスター達がキャンプを知ることはよいことだから、試してみよう。」と言うので、 わたしはとっさに「神父様、今日は止めておきましょう。次の機会に。」と言うと、 神父さまは、「車から降りる必要はないし、医師団もそこで働いている人々もきちんとした規則のもとで働いているので、キャンプの中では感染はゼロです。」との答えでした。
しばらくしてから神父さまが、キャンプの受付をしている友人と電話で話をしている声が聞こえました。友人は、「シスター達、いらして、患者さんのためにお祈りをしてください。患者さんたちは、家族、あるいは宗教関係者の訪問をよろこびますので。」 ということで、最終的に訪問することにしました。
車から降りると、一人の若い方がいらして、手を消毒するために、私たちを塩素の消毒液の入ったバケツの方に連れて行きました。(公共の場所に入る時は、必ず塩素の消毒液で手を洗う)kailahunの人々にとっては、塩素の消毒液で手を洗うことは、もう習慣になっております。受付で、どこのキャンプがより危険度が高く、どこが低いかなど、キャンプの説明を受ける前に、消毒液で手を洗わなければなりませんでした。患者さんが収容されている場所は、普通の病院とは違い、汚染地区に緊急に設置されたキャンプのテントのようですが、材質は非常に厚いものです。                                 
訪問者や家族は、感染の危険度が低い地域の外にある通路で面会します。患者さんたちはそれぞれが椅子を持ってきて、面会者から3メートルくらい離れた場所に座ります。面会場所に入る前に、もう一度手と靴の底を、塩素の消毒液と水で洗いました。        私たちがまだ遠くにいるときから、患者さんたちは何もなかったかのように微笑んでいます・・・・何と言ったらよいのかすごいインパクトでしたので、「あなたがたは、もう私たちの心を捕らえました。なぜならば、わたしが考えていたのは、エボラは人を殺すということだけでしたが、みなさんを見ていると、エボラは、私たちを征服できない、神の愛がすべてに勝る。」と申し上げました。そこからわたしの「メッセージ」が始まり、神父さまは、「あなたの話を続けなさい。私が最後のお祈りをしますから」と。本当に信じ難い体験でした。看護婦のシスターポーリンは、患者の方々に祝福の言葉を贈り、「私は看護婦ですが、今日、みなさんはエボラの違う一面を見せて下さいました。」 と言っていました。死の恐怖に直面しながらも、微笑み、笑うことができるのです。若い方たちは冗談を言い合い、食欲旺盛な仲間の名前を教えてくれました。(エボラから助かるための第一の条件は、よく食べること、水を十分摂取することと、ウイルスを排出させるための点滴です。)このように、よく食べられて、体が食物を拒否しなければ、容易にエボラから助かります。                      
どんなに困難な状況にあっても、神様の愛は私たちと共にあることなどを、かなり長い時間話しました。みなさん、「本当にそうだ」とうなずきながら聞いて下さいました。
ご夫婦の方あり、一家族全員だったりですが、多くは若い方たちでした。7歳の坊やもいました。彼は最後まで微笑んでいましたので、私は冗談で「君もだれかの訪問に来たの。」といいますと、「ちがう、ここに収容されている。」 「でも健康に見えるよ・・・」本当に健康に見えました。もう目がエボラの症状の目(真っ赤な目)ではなく澄んだ目でしたので、相当良く回復していました。
私たちの教会のジョージ神父さまは、ご自分の出身地、コノ地区の言葉でお話になりましたので、その地方出身の方々は、大変喜びました。私も続いてティムニ語で話しますと、(最初はシエラレオネ人全員がわかるクリオ語で話しましたので)あるご婦人が、どうして最初からクリオで話さなかったのか、と聞いてきました。 マブラカからのお嬢さんは、マケニの家族を訪ねて行って、そこで感染しました。国境なき医師団の先生方は、今週は(シエラレオネの)北部から24名の患者さんを搬送して来ましたが、すでに重症であった患者さん4名は、到着するとすぐに亡くなりましたが、後の方は回復しつつあり、神に感謝です。もう一人は、20才くらいのルンサ―からの青年です。この青年は、お皿3杯と呼ばれています。なぜなら、お皿3杯食べないと満腹しないからです。ルンサの本通りのポートロコ通りに家族が住んでいるので、よろしく伝えてほしいと、住所を教えてくれました。

最後に、私たちを見送ってくれた看護師さんたちにお別れし、感染を防ぐため、入った時と同じ儀式の手洗いと靴の底の消毒をし、車に帰ってきました。
患者さんたちの苦痛と苦難の中にも、希望の光を見ることのできた素晴らしい体験でした。私の国の人々は、苦痛の中でも微笑み、苦難の中に、父親として絶えず見守って下さる神の手を見出すことができることを確認しました。
地理的に遠く離れた兄弟たちへの関心を持ち続けて下さる寛大な皆さまのご支援に支えられて、苦しむ人々に理解を示し、希望と、そして食物を配る、私たちの新しい奉仕を続けて参ります。
皆さまのために、そして自身の感染と言う危険を顧みることなく、私たちの兄弟のために働いて下さっている医療関係者の努力が実を結びますように、祈り続けます。 祈りのうちに皆さまのことを思い出しています。

感謝、 Sr. Josephine Kamara 
     
 (この手紙はシスター吉田が翻訳して送ってくれたもので、9月25日に受信しました。)