2014年9月13日土曜日

エボラ出血熱第5信 Sr.吉田より

大雨の被害が続いていますが、皆様如何お過ごしでしょうか。
会報5号の編集もほぼ終えたところですが、シスター吉田からお便りが届きましたので、そのまま、紹介させていただきます。


(前略)
とにかく、知らない間にお昼になり、夕方になり、あっという間に9月も半ば。今のところこんな状態です。特に今、幼稚園増築は屋根をかける大工仕事。皆にとって初めての仕事ですので、一つ一つ、まさに手をとり足をとり、時間の過ぎるのもあっという間ですが、みな一生懸命にやっているのが、唯一の慰め。次の建築が楽しみです。ただし覚えていてくれればの話ですが・・・。

 シエラレオネのエボラ熱感染地域・カイラホンは、このところの保険省発表では、新たな感染はゼロが続いています。国境なき医師団、そして市民が真剣に予防に努めた結果でしょう。街のあちらこちらに消毒液の入ったバケツが備えられ、人々もこまめに手を洗い、接触を避けるために、挨拶も日本式に頭を下げるなど町全体で注意しているそうです。
 そして、カイラホンにあるクララ会修道院のシスター達がチェックしながら、緊急支援のお米は、村々を回る医師団(宇宙服のような防護服で頭の上から足の先まで防護した人たち)に託して、食糧事情の最悪な村の支援を担っています。(この米は、OLGの給食用として購入したものを、ともに歩む会の了解を得てカイラホンに運んだものです。)
 それから、修道院のある町の方では、毎日子どもたちが修道院にやって来て、ミルクとビスケットを受け取っています。集会が禁止されていますので、誰も修道院に集まることはできませんので、何人かずつ修道院の門の所に来て、ミルクとビスケットの朝食を嬉しそうにいただいています。

 今問題は、フリータウン、マケニ、ポートロコ地区(ルンサはこの地区に入ります)です。ただし、ルンサは未だ無事のようです。ようですと言うのも、うわさか真実かどうか、状況判断ができませんので。
3日前にOLG中学部の主任がなくなりましたが、(私は10日前にこの先生に会っています)調子が悪くなって、エボラの疑いがあるとすぐにケネマの感染症センターに送られ、注射をされ死んでしまうのを恐れ、奥さんが誰にも面会させず、気がついた時にはもう手遅れ。長男が、再開されたばかりの神のヨハネ会病院に運んだのですが、腎臓がもう働いておらず、黄疸と熱、痛みで手の施しようがなかったそうです。医療センターから検査官が来るまでは、誰も遺体に手を触れさせず、検査結果が出るまでは隔離。検査の結果エボラではないことが分かり、家族が遺体を引き取り、イスラムですのでその日のうちに埋葬されました。教員住宅に住んでいますので、先生たち皆で協力して、家族を手助けしています。
 神のヨハネ会の病院も、感染の疑いがかけられ、21日間の隔離措置。疑いが晴れ解放されたのが96日。この間に、地域医療の中心であった病院ですので、エボラでない病人や妊婦が手遅れで亡くなりました。お金のある人は、フリータウンでもマケニでもいけますが。特に村の人々にとっては、この病院は唯一の治療場所です。
 私たちのマイル91のクリニックも同じです。シスター達、入念に注意しながら治療に当たっています。死者が出ると、プラスティックの袋で完全に遺体を包み、医療センターの検査を待ちます。
 エボラの疑いがなくても、すべての死亡は、警察に届け出ることになっています。

 19日から21日まで三日間、国を挙げての隔離措置(?)。外出禁止です。これはBBCでもニュースとして流していましたので、あちこちの国外の知り合いから、「なんで直ぐでなく、19日まで待つのか。」との質問の電話がありますが、私たちにもわかりません。通達に時間がかかるから?、でもラジオで流せばすぐに伝わりますので、なぜ19日まで待つのか理由ははっきりしません。

いまのところこんなところです。
私たちは、ルンサの町は、平穏です。

 それから、8月の給食支援は今のところ手をつけていません。今計画しているのは、主に生徒たちの来ている貧しい村へお米の支援をするために手配しています。ボランティアの先生たちを募って、配りに行くことになると思います。
もう少し具体的な計画を練って実施します。

 学校再開の見通しはまだたっていません。引き続きお祈りください。



      奥地の農家。スイカを栽培していた。