別掲の会報4号の最後に「訃報」が掲載されています。山菜を採りに出かけて川に流され、行方不明になっていたNさんのご遺体が発見されたとの知らせが届いたのは、会報編集の最終日でした。
会報にはそのことを簡単に掲載しましたが、Nさんの奥様は富山県魚津市で「シエラレオネの子どもを助ける会・富山」を主宰し、手を貸す運動の時代から熱心に支援活動を続けておられます。6年程前、当時の手を貸す運動・佐藤正明代表と一緒にシエラレオネを訪問した時のメンバーの一人で、その訪問に同行した私ども夫婦は、それ以来Nさんの奥様と親しくしておりました。
会報にはそのことを簡単に掲載しましたが、Nさんの奥様は富山県魚津市で「シエラレオネの子どもを助ける会・富山」を主宰し、手を貸す運動の時代から熱心に支援活動を続けておられます。6年程前、当時の手を貸す運動・佐藤正明代表と一緒にシエラレオネを訪問した時のメンバーの一人で、その訪問に同行した私ども夫婦は、それ以来Nさんの奥様と親しくしておりました。
葬儀に参列した家内が次のような話を聞いて来ました。
Nさんが遭難されたのは6月7日ですが、翌8日にはシエラレオネ支援のためのフリーマーケットを開くことになっていたそうです。7日の朝、早朝の仕事に出かける奥様にNさんは庭先に咲いていた花をとって手渡されたとのこと。いつもは妻を見送った後、自宅介護のお母様に時間をかけて朝ごはんを食べさせるのが日課だったそうですが、この日は、ショートステイ中だったため、早い時刻に山に向かわれたようでした。
Nさんご夫妻はよく二人で山登りされたようですが、この日は友人との山行きで、奥様には今回の登山の目的を告げず、いつもより多めの荷物を用意しておられたそうです。後になってわかったことですが、Nさんのこの日の目的は、フリーマーケットに出すための大量の山菜採りだったとのことです。
山岳仲間や昔の職場仲間などによる懸命の捜索活動が続けられ、遭難から丁度1週間後に現場からそれほど下流ではない雪渓の中から発見されたとのことでした。
書道家としても大きな働きをされたNさんですが、奥様のシエラレオネ支援活動をいつも陰から支え続けておられました。また奥様もシエラレオネ訪問後は、現地で接した子ども達の明るい笑顔と、その背後にある貧しい現実とをいつも心に留めて「私たち数名の力では大きなことはできないけれど、やれるだけの支援活動を続けていきたい」といつも話しておられました。Nさんが亡くなられた今、いつも一緒に寝ていた愛犬チャロは、Nさんのご遺影の前で寝ているとのこと。奥様は、「チャロがいるから生きていける」と悲しみをこらえながら電話で話しておられました。
私は、シエラレオネ訪問に出発する日、成田まで見送りに来られたNさんにお会いしました。多くを語る方ではありませんでしたが、その優しい姿が思い出されます。
毎年のように、支援者やそのご家族の訃報が入りますが、それぞれに素晴らしい人生を歩まれ、Nさんのようにアフリカの子ども達に熱い心を寄せておられたに違いありません。そのご好意を忘れないようにしたいと思い、拙文を記させていただきました。