2016年2月15日月曜日

2月の報告


シスター吉田からは「OLG学園の創立50周年行事が無事に済んだので、近く、その写真などを送ります」とのメールをいただいたのですが、その後のメールが途絶えています。相変わらず、インターネットの不調が続いているものと思います。私の方でキャッチしたいくつかの出来事をお知らせします。
 

Sr.白幡の帰国を待ちわびる幼稚園児たち

 
シエラレオネのエボラ熱は昨年117日に終息宣言が出されて大喜びをしたのですが、115日に、シエラレオネで新たなエボラ出血熱患者が確認されたとの情報がWHOから出されました。しかも、それは西アフリカ3か国全体のエボラ終息宣言が出された翌日だったのです。

リベリアのエボラ熱終息宣言が2度も出し直されたことから考えても、再感染は心配していたことではありますが、現地の人々の落胆はどれほどかと思います。

このようなことが人々の苛立ちとなったのでしょうか、その数日後のyahooニュースには、シエラレオネでエボラ予防処置を巡り、住民と警察が衝突、3人が重軽傷、とのニュースが載りました。

 
また、国際赤十字に勤務する知人からのメールによると、エボラ熱での死者の埋葬に従事した現地人ボランティア(有給)が、エボラ終息後も家族から「帰って来ないで」と言われたり、地域の人々から「エボラ、エボラ」と言われて差別的扱いを受けたりしているという事例もあるそうです。


WHOでも、今後数か月は新たに小規模な感染発生の可能性が残されていると警告していますし、今はまたブラジルを中心としたジカ熱の感染拡大が大きなニュースになっており、気の休まることはありませんが、兎に角、エボラ熱の完全終息と人々の心の傷の癒しを祈り続けたいと思います。

 

去る26日(土)の午後9時からの「NHKスペシャル」をご覧になられた方も多いことと思います。

シエラレオネでのエボラ熱感染の拡大から終息までを詳しくレポートされていました。その中でも感銘を深くしたのは、シエラレオネ人の医師ウマル・カーン博士の命がけの働きでした。ケネマ国立病院の若き医師であったカーン博士は最初からエボラ熱患者の治療に当たり、その重大性・危険性に気づいた博士は、直ぐに国に対しては、感染の拡大を防ぐために、幹線道路を即刻封鎖することを要請し、アメリカなどには支援の要請と共に、エボラウイルスの標本を多数送って、ワクチンや治療薬の開発に取り組むように要請しました。しかし、国の反応は鈍く、シエラレオネでは奥地に当たるカイラフンから首都フリータウンまで瞬く間にエボラ熱が蔓延してしまいました。

そして、最初の患者発見から59日目に博士自身がエボラ熱に感染し、その1週間後(2014年629日)には亡くなってしまわれたそうです。カーン博士を助けたフォー二ー看護師長などもやはり感染死してしまいました。

 2014811日のブログや短報での「エボラ熱報告」にはシスター吉田からの便りとして次のような記事が掲載されています。
 
「しかし、シエラレオネの国民にとって、大きなショックだったのは、ケネマ治療センターで中心的役割をはたしていた、シエラレオネ出身のドクター シェイク ウマル カーンさんがエボラに感染し、39歳の若さで命をおとされたことだったそうです。それまではエボラの怖さを聞かされても“本当?”という受け止め方をしていた人々も“エボラは本当に怖い”と本気で受け止めるようになり、人々の集まる場所には必ず消毒液が置かれて、皆、消毒を励行しているそうです。」

 
 カーン博士のあまりにも早すぎた殉職を悼むと共に、カーン博士の文字通り身を捧げてのお働きに改めて心より感謝したいと思います。

 
・シスター白幡はお元気にリハビリに励んでおられます。3月末ごろに、今後の方針(いつ頃現地に復帰できるかなどの治療方針)を主治医と相談されるそうです。

 また、サンパウロ宣教センターが発行している月刊誌「家庭の友」の3月号にシスター白幡のインタビュー記事が6ページにわたって掲載されています。記事の中で “ともに歩む会”も紹介していただき感謝しています。

 

 ・支援者様から、確定申告の時期だが、ともに歩む会は寄付控除の対象になる団体か?との問い合わせをいただきました。 “ともに歩む会”はNPO法人格を取得していませんので、控除の対象にはなりません。ご了承ください。
 

・前年度から400万円の繰越金があったこともあり、お蔭様で、毎月の給食支援費など、年度予算に従った送金が実施できています。ご支援、心より感謝いたします。
 
                    (菅野勝治郎)