▼ 前回のブログ更新から1か月が過ぎてしまいました。8月中は、2016年度の決算報告や2017年度の予算案の立案など、9月17日に行われる“ともに歩む会”本部総会に向けての準備に追われながらの1か月でした。ルンサでは8月中は、OLGは夏休みとのことでしたが、この期間は毎年恒例になっているイタリアからのボランティア集団の受け入れなどのために、シスター吉田は相変わらずの超多忙で、その上、インターネットの不調のために、ほとんど連絡らしい連絡はいただくことができませんでした。しかし、9月に発行する“ともに歩む会”会報13号の原稿は何としても届いて欲しいと切に祈りながらの毎日です。
こんな折り、ルンサで医療ボランティアをされた医学生の堀井翼さんからメールをいただきました。やはり、現地にいる間はメールが繋がらず、ルンギの空港についてようやくメールが通じたそうです。ルンギ空港と乗り換え空港のパリからのメールでしたが、とても元気で、素晴らしい経験をして来られたようすで、12月に発行する会報14号にその報告文を書くことを快諾してくださいました。更に今、ルンサでは奈良県出身の看護師さんがボランティア活動をしておられます。この方は、9月一杯現地にとどまられるそうですし、2月には女子大生2名の現地訪問も予定されています。また、数日前、会報5号に「シエラレオネの保健医療事情」を寄稿くださいました藤井千江美さんが、シエラレオネの近隣国ブルキナファソでのボランティア活動を終えて無事に帰国されたとのお知らせがあり、そこで得たエボラ終息後のシエラレオネの様子などの報告文を書いて送ってくださるそうです。これは、会報13号に間に合うと思います。それぞれ、ご期待ください。
熱心に勉強に励むOLGの小学生
▼ 8月27日・28日には安倍総理が自らケニアのナイロビまで出向いて第6回アフリカ開発会議が開かれました。アフリカ54か国の首脳が集まったこの会で、安倍総理は、今後3年間で官民で総額3兆円規模をアフリカ開発の為に投じるとの方針を表明し、「日本が目指すアフリカは、産業化した強靭な、安定したアフリカだ。」と述べたそうです。
「日本が目指すアフリカ」でいいのだろうかと、ふと疑問に思うのは私だけでしょうか?アフリカの人々にはアフリカの人々が目指す歩みがあり、その歩みに力強く寄り添う日本であって欲しいと思います。アジアの某大国が、大量の人材や資金をつぎ込んで、シエラレネでどんなふるまいをしているか、私どもはシスター吉田から聞いています。この某国をアフリカ開発の競争相手にするようなことは決してあって欲しくないと思います。
去年の2月、政府はエボラ終息支援のためにと自衛隊の派遣を決めましたが、「隊員の感染リスクがある中で何故行くのか?」との批判を受けて、一度決めた自衛隊の派遣を取り止めた事実も思い出されます。その前にも、安倍総理は「エボラ出血熱対策に思い切った支援をします」と繰り返し述べておられました。遅まきではありましたが、あの自衛隊派遣を実施し、エボラの完全終息まで粘り強く現地で活動していたら、今回の安倍総理の発言は何倍もの重みを持ってアフリカの人々に受け止められたのではないでしょうか。3兆円もの資金を投じて行われる開発事業が、アフリカの人々の格差を一層広げるような結果にならないで、貧困にあえぐ人々の一歩前進に繋がるものとなるように願っています。国際情勢などには全く疎い私ですが、今、感じていることを述べさせていただきました。
▼ この1か月、私の心に深くのしかかっていることは、津久井やまゆり園での凄惨な事件のことです。この施設の元職員であったという容疑者を厳しく断罪し、再発防止策を講じるだけでは決して解決できない根の深い病根が存在し、私ども自身も少なからずそれに感染しているのではないでしょうか。
聖書には次のような記事が載せられています。道で出会った生まれつきの盲人を見て、弟子たちが「彼が盲目に生まれついたのは誰の罪の故ですか?」と質問しましたが、その問いに対して主・イエスは「誰かが罪を犯したからではありません。神の業がこの人に現れるためです。」とお答えになりました。この「生まれつきの盲人」を「ハンディキャップを持った人」と置き換えてもいいのではないかと思います。
数日前の新聞に、この事件に巻き込まれて辛くも一命を取り止めた方のお父様が「この子は私ども家族の大切な宝なのです。」と訴えておられる記事があり、胸痛む思いがしました。そして、この重い障害を持たれる方は、ご家族の宝だけではなく、私どもみんなの宝、国の宝でなければならないと切に思います。障がい者だけなく、病気の方、高齢の方・・・人間一人ひとりだれもが等しく宝なのだと思います。主イエスは「神の業が現れるためです」と言われましたが「神の業」とは「愛」なのですから。
私どもは“ともに歩む会”という尊い名前を主からいただきました。この名前に恥じぬように、どのような人とも、ともに歩む思いを大切にしていきたいとの願いを新たにしています。
この度のあまりにも痛ましい事件の犠牲になられた方々の上に、また、今でもその心身の傷が癒されていない多くの方々の上に、神様からの豊かな慰めがありますようにお祈りいたします。
菅野勝治郎