2017年5月11日木曜日

Sr.白幡からの病床便り


青葉若葉の緑が美しい季節になりました。

 支援者の皆様、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。

 36日にこの世田谷記念病院に来てからもう50日も過ぎました。速いものですね。私の病室からは大きなマンションしか見えないし、いつも病院内は26度に設定されていますので、ほとんど季節の移り変わりは分かりませんが、ニュースの後の気象情報をみられる時に、桜が散ったとか、つつじが咲き始めたとかを知ることができます。
 
 
        明るく談笑するSr.白幡
 

皆様お一人おひとりの熱心なお祈りのおかげで、お腹の状態も良くなり、今日、429日の9時で40日間つながれていた点滴と別れることができました。1週間前からの流動食、3日前から普通の食事もいただけるようになりました。時々、兵庫県の郷土食とか、千葉県の郷土食なども出ます。私は、子ども時代を千葉で過ごしたので千葉県の郷土食に興味がありました。あなごと卵のおどんぶり、菜の花と落花生の和え物とアサリのお汁がメインでした。

 ただ、お腹のために、すべての食事は小指の爪ぐらいの大きさに細かく切ってあります。今日のお昼はラーメンでしたが、2ミリから、一番長いのでも3センチに切ってあったので、ラーメンを食べた気はしませんでした。一人ひとりの患者にここまで気を配ってくださるドクターとコックさんたちのご苦労に感謝でいっぱいです。


 点滴がなくなって、これからは口から食事をして力をつけて、もっとリハビリに集中できることを希望しています。退院にはあとひと月ぐらいかかりそうです。

 先週、テレビでシエラレオネのシスター吉田や他のシスターたちの生活を見て、懐かしくて涙が出ました。いつ戻れるかは神様のご意思にかかっています。これからも、お祈りで支えてくださいますように皆様にお願いいたします。

 皆様の祝福を願って、感謝のうちに。

 2017426日        
          宣教クララ修道会 Sr.白幡 

<シスターの退院は6月初め頃になるそうです。菅野>

2017年5月4日木曜日

「世界の村で発見・こんなところに日本人」から


  去る418日の夜、「世界の村で発見・こんな所に日本人」という番組(制作はABC朝日放送)で、シエラレオネで活躍しているシスター吉田が紹介されました。タレントの千原せいじさんがはるばるシスターを訪ねてインタビューする感動的な内容でした。それを視聴された多くの方から「すばらしい番組でしたね」との声が聞かれました。シエラレオネの町の様子なども、とても興味深い物がありましたが、シスターの話の主な部分を紹介します。(文責:菅野勝治郎)

 

千原氏:こんにちは、日本人の方ですか?

シスター:ハイ、そうです。(シスターの若々しく艶のある声に感激!)

千原氏:日本のテレビ番組で、変わった国に住んでいる日本人を追っかけています。

シスター:私、追っかけられたわけね。(笑)

千原氏:ここで今、何をしてるんですか?


シスター:ここで今、村から来る学生のための寮を造っているの。そうでないと、片道3時間から4時間の道を歩いてくるから、一日8時間も往復にかかる。勉強する時間が取れません。
 私これでもキリスト教の宣教師ですから・・・。

千原氏:いつからここにいるんですか?

シスター:ここには2012年からいます。

千原氏:では、あのエボラの時もここにいたんですか?

シスター:そうです。だって人々には、いろんな必要があるでしょう。「エボラが蔓延したから日本に帰ります」という気持ちにはなれませんよ。このルンサの町でも多いとところは300人がエボラで亡くなりました。
 エボラが蔓延して、子どもたちが学校にも来られなくなった時、初めて、子ども達の村々を訪ね、食べる物もなくて困っている家々にお米などを届けたのです。その時に初めて、こんなに遠くから通っているんだと分かって、その子たちのために寮をたててあげなければならないと思った訳です。

千原氏:どうしてここシエラレオネに来られたんですか?

シスター:修道会から言われたからです。

千原氏:シエラレオネに行くように言われた時、どう思いましたか?

シスター:また、新しい人、新しい国との出会いが始まると思うだけでした。世界中どこに行っても人々は同じでしょう。ちょっと優しいか、ちょっと騒々しいか、ちょっとアグレッシブか・・・。どこも、そういう人々の集まりです。

千原氏:22歳で修道女になる時、ご両親は反対されませんでしたか?

シスター:反対されました。でも母は、3か月後には認めてくれました。父も後には認めてくれていました。

千原氏:なぜ、反対されたのですか?

シスター:父は「普通の生活をして欲しい」と言っていました。修道女がどういうのか知らないから不安があったのだと思います。

ナレーション:シスター吉田は群馬県で生まれ、17才でキリスト教の洗礼を受けて、その後、メキシコ人のシスターの生き方に感銘を受けて、修道女になりました。31才でナイジェリア、52才でインドネシア、59才でインド、60才でまたナイジェリアと派遣されましたが、5年前からシエラレオネに来ています。

千原氏:今の日本についてどう思いますか?

シスター:渋谷なんかは、人にぶつかりそうで歩けません。

 でも、日本人は寛大です。1987年から、ここの子ども達、1600人ぐらいいる訳ですが、月曜日から金曜日までずっと給食を支援してくださっています。今もです。

千原氏:ここは、エアコンも無くて、大変ですよね。

シスター:でも、夕方5時から翌朝の8時までは電気が通るので扇風機がありますから助かります。食事も、現地のまかないの方が作ってくれる食事をいただきますが、美味しいですよ。11名の修道女がいますが文句を言う人はいません。

千原氏:ぼくは、ここに来てから文句ばかり言っています。この後、どうされるんですか?

シスター:命の続く限り、どこで私の命がなくなるかは分かりませんが、命の続く限り、人々に寄り添っていきたいと思います。

ナレーション:シスター吉田さんにとって、ここルンサは、自分を必要としてくれる人のために自分の愛を捧げ尽くそうと決めた場所なのでしょう。

 

▼ 番組の冒頭のナレーションで、「シエラレオネは、今は教育に力を入れ、就学率は100%です」と報じられました。“アフリカ理解プロジェクト”の発表ですと、1999年のシエラレオネの小学校純就学率は43%(女子:37%、男子:50%)となっています。2008年の識字率(義務教育6年)は39.8%(女子:28.9%、男子:51.7%)です。

なぜ、就学率100%と報じられたか、確認はできませんでしたが、前にシスター白幡やシスター吉田から、シエラレオネでは全国の小学校は無償(フリー)になった、と聞いたことがありますから、これをもって就学率100%としたのではないかと思われます。

しかし、授業料は無料になっても、貧しくて学校には行かせられない、親が子どもを学ばせる必要を認めない、子どもを働き手として使いたい、などの理由で学校に来ない(来られない)子どもも未だに多いのが現状だと思われます。エボラの時のシスター吉田の報告にも、文部省は全国の小学校に給食を提供すると発表したが、給食のためのお鍋ひとつ未だに届いていないということがありました。シエラレオネの政府が就学率100%の理想を掲げていることに希望をつなぎたいと思います。

▼また、番組中で「敷地内には幼稚園と1600人の女子生徒が通う小中学校がある」と報じられていましたが、その上に、高等学校、職業センターなどもあり、全校生徒約3000名が在籍しています。そして、現在給食支援を実施しているのは、シスターも言われましたが幼稚園と小学校の約1600名です。